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『杜子春』
  或春の日暮です。
 唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
 若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分となっているのです。
 何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。門一ぱいに当たっている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶった紗の帽子や、土耳古(トルコ)の女の金の耳環や、白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れて行く容子(ヨウス)は、まるで画のような美しさです。
 しかし杜子春は相変らず、門の壁に身を凭せて、ぼんやり空ばかり眺めていました。空には、もう細い月が、うらうらと靡いた霞の中に、まるで爪の痕かと思う程、かすかに白く浮んでいるのです。
 
杜子春が落ち込んでいるところへ、仙人が現れて、
 
「ではおれが好いことを一つ教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当る所を夜中に掘って見るが好い。きっと車一ぱいの黄金が埋まっている筈だから」
 
杜子春がした贅沢の表現です。これがすごい。
 
 大金持になった杜子春は、すぐに立派な家を買って、玄宗皇帝にも負けない位、贅沢な暮らしをし始めました。蘭陵の酒を買わせるやら、桂州の竜眼肉をとりよせるやら、日に四度色の変る牡丹を庭に植えさせるやら、白孔雀を何羽も放し飼いにするやら、玉を集めるやら、錦を縫わせるやら、香木の車を造らせるやら、象牙の椅子を誂えるやら、その贅沢を一々書いていては、いつになってもこの話がおしまいにならない位です。
 するとこういう噂を聞いて、今までは路で行き合っても、挨拶さえしなかった友だちなどが、朝夕遊びにやって来ました。それも一日毎に数が増して、半年ばかり経つ内には、洛陽の都に名を知られた才子や美人が多い中で、杜子春の家へ来ないものは、一人もない位になってしまったのです。杜子春はこの御客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。その酒盛りの又盛なことは、中々口には尽くされません。極かいつまんだだけをお話しても、杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺生れの魔法使いが刀を呑んで見せる芸に見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠の蓮の花を、十人は瑪瑙の牡丹の花を、いずれも髪に飾りながら、笛や琴を節面白く奏しているという景色なのです。

 
大金持ちになっては、贅沢の果てに一文無しになり、又仙人が現れる。
しかし3度目に仙人と会ったときには、人間に愛想が尽きて、もうお金はいらないと、断ります。そして仙術の修行をさせて欲しいと申し出るのです。以下略。
 
古典のムードを寝物語のように綴る作者。
 
昭和2年7月、服毒自殺、35歳の時。
寝物語を上手にしてくれる人を信じてはならない。。。



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