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青春
「作者の言葉」を紹介します。


 人の生涯のうち一番美しくあるべき青春の季節は、おのずから最も生きるに難かしい季節である。神があらゆる贈り物を一度に人に与えてみて、人を試み、それに圧し潰されぬものを捜そうとでもしているかのように、その季節は緑と花の洪水になって氾濫し、人を溺らせ道を埋めてしまう。生命を失うか、真実を失うかせずにそこを切り抜ける人間は少いであろう。
  
 人の青春が生に提出する問題は、生涯のどの時期のものよりも切迫しており、醜さと美しさが一枚の着物の裏表になっているような惑いにみちたものだ。モンテーニュが、人は年老いて怜悧に徳高くなるのではない、ただ情感の自然の衰えに従って自己を統御しやすくなるだけである、と言っているのは多分ある種の真実を含む言葉である。青春には負担が多すぎるのだ。しかもその統御しやすくなった老人の生き方を真似るようにとの言葉以外に、どのような教訓も青春は社会から与えられていない。それは療法の見つかるあてのない麻疹のようなもので、人みながとおらなければならぬ迷路と言ってもいいだろうか。
  
 もし青春の提出するさまざまな問題を、納得のゆくように解決しうる倫理が世にあったならば、人間のどのような問題もそれは、やすやすと解決しうるであろう。青春とは、とおりすぎれば済んでしまう麻疹ではない。心の美しく健全なひとほど、自己の青春の中に見出した問題から生涯のがれ得ないように思われる。真実な人間とは自己の青春を終えることの出来ない人間だと言ってもいいであろう。
 

実はこの小説では(と言っては、読む興味は薄らいでしまうでしょうが)、主人公には事件らしい事件も起きず、ちょっとした女性との関わりに中に、「作者の言葉」に書かれたような、負担の大きすぎる青春が描かれています。

主人公の周りの女性としては、まず彼が学ぶ教授の妹がいて、二十歳の彼よりも少し大人の世界を垣間見せる存在です。
そして下宿には、越してきた姉妹の、特に女学校の妹が、彼の部屋に去来します。

画家を目指す友人の身の上に起きる女性問題の方が面白いプロットです。主人公の胸中に去就するできごとは、日常がその外観に置いて変化なく通り過ぎる中で、全てはなかったも同然と処理する安逸で、過ごすことも可能です。
しかし湧き上がるととまらない青春の情念は、年上の女性に、「今笑ったでしょう」と掴みかかってみたり、次の約束を交わしたばかりのその足で、先回りして相手を待ち伏せてみたり。。。

昭和13年発表という時代の事情を考えれば、仕方ないことですが、未来の日本を背負うべき、学業の最高峰にいる青年達の会話には、男尊女卑の鋳型がはまってしまっています。その上で説くフェミニズムに、少し迷路を感じる方もいることでしょう。
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